2024-09-03 酸辣湯、マコンドへ
朝から酸辣湯を作る。簡単だしからだがしゃきっとなるような滋味深さがあるのでレパートリーに加えよう。
少しの間読めていなかったので、アウレリャノがレメディオスに恋をしてしまったあたりから読み返す。
めちゃくちゃな音を奏でだす自動ピアノのなかにメロディを聴き取って踊りを続けるところで、ふと『日々の泡』を思い出した。というか、日々の泡はずいぶん前に読んでほとんど覚えていない(過去の読了メモがあるので読んだけどまったく具体的なことが書いていない。主人公がクロエという名だったことを思い出せただけ)。多分フランス語で読むのは困難だろうからいつかもう一度翻訳で読みたいな。あのカオスと、百年〜の中にあるカオスとはどう近くて、違うんだろう。
壊れた自動ピアノが出す音の中にはみんなが見知っているメロディがあるわけじゃない。ひとりひとりが自分なりの流れをたどるようなもので、それぞれはそれぞれでばらばらに踊っている。最近怪談の本を読んだことも手伝って、そこに起こったある現象は人によってそれぞれのかたちに受け取られることがある、いうことに興味がある。というよりむしろどんな現実も全員が同じように受け取ることは決してないのだろう。ここにはいい加減で思い込みが激しいからこその陽気さが満ちているのに、なぜか怪談のことを思い出した。
メルキアデスに居所を教えられたプルデンシオ・アギラルがホセ・アルカディオ・ブエンディアに会いに来た日からマコンドの時間が止まる。混沌のようだがこの世界にはこの世界の理がある。こんな見事な物語をよくも書いたなと感心してしまう。巨匠に対して感心って。
ひとつの章を終えたので『『百年の孤独』を代わりに読む』の同じ章を読みながら、もしかしたら私は多くのひとよりもマコンドに近いところにいるのかもしれないと思う。個が個のかたちを取らずに他のものに流れ出し混ざり込み、時間も空間も曖昧に行き来することに慣れている。それは生と死の境目があいまいであるということだ。